言葉を学ぶ

2024年4月4日

スタッフのMです。インドネシアやマレーシアで文化人類学のフィールドワークをしていたことがあります。なにかしら言葉と結びつけながら、文化人類学の調査や研究に関連した話を投稿していこうかなと思います。

■外国語は幼少期に学び始めないと身につかない?

よく英語を身につけるためには小さい頃に始めたほうがいいという宣伝を目にします。でも、問題なくコミュニケーションがとれるという意味なら、大人になってからでも外国語を習得できるというのがこれまでのところの私の経験則です。必要なら身につきます

私の場合、大学院に入学する頃にはインドネシアやマレーシアに暮らす民族(インドネシアやマレーシアは多民族国家です)のことを研究しようと決めていたのですが、その民族の言葉はおろかインドネシア語もマレー語もほぼ知りませんでした。Terima kasih(ありがとう)やselamat pagi(おはよう)くらいは知っていたと思いますが。

そこで、まず大学院に入って半年間くらい週1コマの授業を受けて、基本的な文法だとか、辞書の引き方だとかは理解しました。でも、知っている単語はほんの少しです。日常会話もおぼつかない状態で、インドネシアでの調査に出発してしまいました。それでも最初はなんとかなりました。インドネシア人の研究者が調査許可やら滞在許可やらのための役所巡りと調査地行きに同行してくれたからです。彼女は私が行きたい地域で調査したことがあって、費用はこちら持ちでその調査地を短期で再訪することになっていました。

彼女が予定通り調査を終えて帰ってしまうと、完全にインドネシア語と現地語のみの世界になりました。カリマンタンの山奥の村にいたのですが、誰も英語なんて話しません。そこから、急速にインドネシア語を覚えていきました。なぜ現地語じゃなくてインドネシア語だったのかというと、村の小学校の先生家族の家に泊めてもらっていて、その先生は外部から来た人だったからです。現地語もとても上手な人でしたが、私が少しはインドネシア語がわかることもあり、先生との会話はいつもインドネシア語でした。

この先生がとても頭のいい人で、とてもわかりやすいインドネシア語で話してくれるうえに、私が知らない単語があると、見事に私のわかるインドネシア語で説明してくれるのです。こんな人が身近にいると、どんどん言葉が覚えられます。インドネシア語-英語の辞書も持っていっていたので、新しい単語を覚える度に、辞書に印を付けていった記憶があります。

その後、村の家を転々と泊まり歩く生活を始めたのですが、その頃にはインドネシア語で自由に会話できるようになっていたので、現地語を習得するモチベーションが下がってしまっていました。小さな子どもだと現地語しか話せませんが、ほとんどの人はインドネシア語が上手なので、インドネシア語での会話で十分だったのです。それでもゆっくりとは現地語も覚えていったので、聞く分にはそこそこ理解できるようになったし、小さい子どもやおばあさんと話すときには現地語を使うこともありましたが、インドネシア語ほど上手にならないままになってしまいました。ちょっと残念な気もします。

■わたしが特別なのか?

インドネシア語がどのくらい上手になったかというと、マレーシアに行くとインドネシア人だと思われるくらいにはなりました。インドネシア語はもともとマレー語を元にしているのですが、現在マレーシアで話されているマレー語とは語彙・表現や発音に違いもあります。はじめてマレーシアに行った時には完全にインドネシア語で話していた私も、だんだん違いがわかってきました。でも、インドネシアっぽさはなかなか抜けません。日本人だと言っても、「お父さんとお母さんのどっちがインドネシア人なんだ?」と聞かれたこともありました。

でも、これは特別なことではないのです。インドネシアで長期で研究やら仕事やらをしていた仲間たちは、私よりインドネシア語が流暢でした。インドネシア語だから大人になってからでも習得できるのかというと、そういうわけではないと思います。大学院にはいろいろな国で調査している人たちがいましたが、言葉ができなくて挫折してしまったという話は聞いたことがありません。必要に迫られれば、必要なレベルのコミュニケーションを取れるまでに外国語は習得できるものではないかと思っています。ただし、発音にしろ表現にしろ、どのくらい注意深くネイティブに合わそうとするかには個人差があるので、完全に同化していく人と文脈で伝えられる人とは出てきます。

よく英語が苦手でという話を聞きますが、それはきっと英語ができなくてもなんとかなる生活をしているか、なんとなくネイティブ並みに憧れてしまっているかのどちらかだろうと思っています。

■どうしても身につかないもの

ただし、インドネシア語の中でどうしても習得できないと思ったものがあります。一部の音の聞き分けです。とくにやっかいなのが、語尾のn(歯茎鼻音 [n] )とng(軟口蓋鼻音 [ŋ] )です。どちらも舌が口の中の息の流れを止めつつ、鼻には息が流れる鼻音です。舌が口の中のどこを閉鎖しているかが違います。なんとなく音の響きに違いがあるような気はするけれど、どうしたって「ん」にしか聞こえません。

よく考えてみると、日本語の語尾の「ん」は、次に続く言葉によって [n] や [ŋ] や [m] と違った発音をしているんですよね。これをちゃんと発音し分けながら、同じ「ん」と認識しているわけです。不思議! 私が聞き分けられないのはnとngだけですが、人によってはmも聞き分けるのが難しいようです。

じゃあ、聞き分けが難しい音は発音も難しいかというと、それをカバーするのが知識です。音声学を学べば、それぞれの音をどうやって発音するのかがわかります。綴りを覚えておけば、聞き分けていないのに発音し分けることが可能になります。母国語にない音を発音する訓練だってできます。きっと多少ぎこちないところは残っているのでしょうけれど、意思疎通には問題ないレベルになれます。

私が音声学を学んだのは、表記法が定まっていない現地語を記述する必要性にかられて、同じ大学の文学研究科の音声学の授業を聴講したからです。(ほとんどインドネシア語で調査をしていたくせに、現地語は重要な要素だったのです!)学んでみて、高校あたりの授業で音声学があったらいいのにと思いました。そうすれば、外国語の発音のコツについて謎の表現で説明されて、「わからない…」と思うこともなくなると思います。

■言語能力は訓練で伸びる(と思う)

今日はこのあたりで、会社のPRに結びつけて締めます。ここまで外国語の習得の話を書いてきたわけですが、その教訓は、「訓練すれば、言語能力は伸びる」じゃないかと思います。外国語だと自分の能力の伸びに気づきやすいものですが、母語でも同じです。練習すれば、話すのだって、書くのだって(たぶん)うまくなる! 京都テキストラボでは、みなさんが書く文章を分析するAIを開発しています。AIには人間による判断を学習させています。人間にも個人差はあって、誰かの判断が絶対というわけではないように、AIによる分析結果を絶対と捉える必要はなく(というか、そんなふうに思わないでください)、気兼ねのいらないアドバイザーの一人くらいに思ってください。個人向けに提供しているサービスはまだ一つだけですが、徐々にサービスを充実させていければなと考えています!