人に対する怒り—防御編—

2024年9月3日

ときどき腹が立って、なかなか収まらないことがあります。夜中に目が覚めて、何時間も腹が立った相手のことを考えて眠れなくなりような持続的な怒りです。私の場合は、そういう怒りは人に攻撃されたとき、理不尽な対応をされたときに起こります。そんな怒りがどんなときに生じて、どう解決していったか振り返ってみようと思います。

■ボス体質・いじめっ子体質の人からの攻撃

私を突然攻撃してきた人として印象に残っている人が二人います。まず一人目は古株の保育士さん。保育園行事で私がある係を担当することになったとき、私が〇〇は〇〇したらいいですかね?といったことを行事の担当者だったその保育士さんに言うと、突然不機嫌になり、私を無視しはじめたのです。はじめはどういうことか理解できず、過去の係の人に相談すると、その保育士さんのやり方というのがあって、まず彼女にお伺いを立ててその通りにしないと機嫌を損ねるのだと教えてくれました。自分たちのときも大変だったけど、気にしないほうがいいというアドバイスでした。

といっても、その保育士さんを通さないと話が進まない部分もあります。私も腹が立ってきて、夜中にもんもんと考えて出した結論ははっきり対決する、でした。子どもたちがいる前では喧嘩できませんから、「ちょっといいですか?」と保育園の外に出てもらって、「いったいどういうつもりですか?」と問いました。向こうは「なんのこと?」「そんなん誤解やわぁ」とのらりくらりと言い逃れをしていましたけどね。

それから、私にはとても愛想よく接するようになりました。でも、まったく反省はしていないし、全然中身は変わっていなかったと思います。その証拠に、私とは別の係の人たちが彼女の言う通りにしていないのを他の保育士さんに悪しざまに言うのを聞きましたし、行事以外でも優しいお母さん(彼女には気が弱そうに見えたのでしょう)に理不尽な嫌味を言ったりしていました。ひどいよね。

もう一人は職場の私とは別の部署のアシスタントさん。これはきっかけがまったくわからないのですが、ゴミ捨て当番の時に変な嫌味を2回言われました。1回目はどういう意味だろうとも思ったのですが、2回目にはこれは意図的な嫌味だなと確信を持ちました。でも、保育士さんの無視に比べると、わかりにくい嫌がらせです。腹は立つけれど、表立った喧嘩をするほどでもないという微妙さに困ってしまいました。でも、放置すると付け上がるかもしれない、と思わせるだけの微妙な態度もありました。

そこで、私は彼女の弱点はなんだろうと考えました。周りの人たちにアシスタントさんのことを聞いてみると、別のフロアにいる姉御肌の事務の女性ではないかと見当が付きました。私もかなり意地悪なのですが、同じフロアの掃除のまとめ役的な人たちにCCしながら、ゴミ捨て当番のシステムに問題があるなら、その方にも相談してみましょうかと彼女にメールしました。中立的な立場の人たちにCCしたのは、あくまでシステムの不備を心配しているという建前を貫くためです。彼女の私への嫌がらせを問題にしたら、そんなことはしていませんで終わる可能性があると考えたのです。彼女からの返事は「それだけは止めてください」でした。それから、嫌味も微妙な態度もピタッと収まりました。

ここから得られる経験則は、何らかの不満を弱い(弱く見える)相手にぶつけてくるような人がいたら、やり返したほうがいい、です。

でも、それがなかなかできないことだってありますよね。私はその保育士さんを保育士さんとしては信頼していたので、子どもにはマイナスの影響はないと考えていました。でも、そこも信頼できない人なら、保育士さんとの対決は転園覚悟になってしまいます。それはかなり重い決断ですよね。それに、保育士さんにしても、アシスタントさんにしても、私との直接の上下関係はありませんでした。不安材料が多いときは、もっと慎重に作戦を立てる必要がありそうです。そんなときは、嫌がらせのひどさや予想される持続期間と作戦を立てて準備をする手間を天秤にかけることになるでしょう。

と、これを書きながら思い出したのですが、大学院生だったときに指導教員とトラブルになりそうになったことがありました。私が彼を通さずに別の研究者にコンタクトをとったことで、指導教員が怒りのメールを私に書いてきたからです。私の方も、指導らしい指導もできないのに、何を言ってるんだとひどく腹が立ちました。それで、Tさんという研究者に、指導教員への怒りを言い立てました。Tさんは指導教員の元同僚です。Tさんはまあまあと言って、指導教員との間に立ってくれそうなAさんに電話をかけました。私がいまTさんのオフィスに来ていて、泣いている、反省していると指導教員に伝えてほしいと。Tさんは半分面白がっていたような節があり、Aさんにも茶番だということは伝わる話しぶりだったと思います。私もそれが面白くなってきて、指導教員への怒りはすっかり収まりました。笑いが怒りを凌駕することもあるんですね。根が深くなければ、そういう解決法もありだと思います。

■意見が対立する相手からの攻撃

より難しいのは、意見が「対立」する相手からの攻撃です。いろんな意見があるのは当たり前で、どちらが正しいということもなく、妥協点を見つけたり、ただ単純に共存したりできればいいじゃないかと私は思っています。でも、意見が違う→自分の意見が正しいと考える→相手を攻撃するという人が時々います。「違う」が対立になってしまうんですね。

一番びっくりしたのは、大学院に入りたての頃の経験です。とても親切にアドバイスなどをくれていた先輩が、私のセミナー発表を聞いて、手のひらを返したように冷たくなりました。自分と似たようなテーマで研究してくれると期待していたら、大きな括りでは同じ分野でも思っていたのと違うテーマだったんだと思います。離れていってくれるだけならよかったのですが、それからも私のセミナーに出席して、聞えよがしに隣の席の人に私の研究テーマへの批判を言うのです。私に対して意見なり質問なりを投げてくれれば、私も私の考えを返せますが、そのやり方だと私には発言の機会がありません。

対決の機会をもたないまま、私は長期調査に出発しました。そこでそれなりに充実した調査をして、ちゃんと論文も書いたせいか、その後は嫌がらせはなくなりました。私は彼女が大嫌いなままでしたが、学会などですれ違うときには、にこ〜っと笑いかけるようにしていました。

ちなみに、おじいさん先生とも似たような対立がありました。その先生は「まあ、博士課程にいけるか見させてもらうわ」と嫌味たっぷりに言っていました。ただ、いろいろな研究者を紹介してくれもしたし、調査後は私の研究も明示的に認めてくれたので普通の関係に戻れました。

それなりに長い間、嫌な気分を抱えていなければならなかったのですが、なんとかそれを乗り越えられた経験です。時間をかけて、その研究テーマもありだと証明できたわけです。

■筋の通らない上司

職場で上の人のやり方に腸が煮えくり返ったこともありました。私への個人攻撃ではありませんが、私が関わっていたプロジェクトが無期延期になったことがありました。長い時間をかけて準備してきたプロジェクトがとうとう実行段階に入ろうとした矢先に、組織のトップが怖気づいてストップをかけたのです。プロジェクトを進めてきたメンバーとまともな話し合いももたずに。彼に何を言っても議論は噛み合わず、まったく筋が通らない理由を繰り返すだけでした。その組織の役割を逸脱しているというのですが、それはまさにHPで使命として掲げていた内容でした。使命として掲げながら、取り組めていなかった内容です。新しいことをして悪い評価を受けると、組織の存続が危うくなるという判断でしょう。一言でいうと、リスクを負うより、現状維持がいい。数十人の雇用を守る立場にいるという責任感からの行動だとしても——単なる保身の可能性もありますが——、プロジェクトメンバーに対する真摯な気持ちがまったく感じられませんでした。しかも、そのプロジェクトはボトムアップで始動したものとはいえ、きちんとトップも含めて上の了承を得て、随時進行を報告しながら進めてきたものでした。本当に的外れなプロジェクトであったなら、それを承認してきた管理職の責任も問われてしかるべき事態です。

少しだけ具体的にいうと、その組織が所属する上位組織の一部の構成員たちの現状をアンケートで調査するというものでした。基礎データの収集ですね。対象者となる層のサンプル調査を入念に進めて、アンケートに模擬的に回答してもらって答えにくいところがないか、時間がかかりすぎないかもチェックして、アンケート調査としては完璧な部類に入る準備をしていました。アンケートは上述のトップも含めて関係部署に回覧して、問題が生じないように細かい表現まで念入りに調整もしました。なのに(だからこそ?)、中止です。上位組織ではしばしばアンケート調査が行われていました。ただ、私たちがほしいデータがないから、そのプロジェクトを動かしていた。トップは、最終段階でアンケート内容を詳細に読んでいるうちに、このアンケートだと現状がクリアになるかもしれない、パンドラの箱を開けることになるかもしれないとでも思ったのでしょうか。

私はここで、こんなトップがいる組織は退職したほうがいいんじゃないかと考え始めました。ただ、トップはそのうち変わるので、トップが変わるまで我慢したらいいのかとも思いました。でも、同僚の見解は、構造的な問題があるから、トップが変わっても体質は変わらない、でした。

そんな事件に追い打ちをかけたのが、直属の上司の行動と人事評価でした。その組織では一人がメインの担当と掛け持ちの担当を持つようになっていました。メインの担当の上司が、直属の上司ということになります。直属の上司は猜疑心の強い人でした。私には掛け持ちの担当が二つありましたが、そのうちの一つのリーダーNさんに対して敵対心のようなものも持っているようでした。ある時期、Nさんのものとは別の掛け持ちの仕事で忙殺されていたことがありました。それでもメインの担当もきちんとこなしていました。なのに、直属の上司は私が忙しそうなことが気に入らなかったようです。なぜなら、私がNさんの仕事をしていると思い込んでいたから! なぜ、彼女の思い込みがわかったかというと、私が帰った後でトップに近い人に、私がNさんの仕事をしていてメインの仕事をさぼっていると告げ口していたと同僚に教えてもらったからです。なに、それ、です。

私はそのトップに近い人に事情を説明しましたし、直属の上司にも説明と抗議をしました。でも、おそらくそこで植え付けられた印象は抜けきらなかったのでしょう。その後の人事評価はあまりよくはないものでした。その組織が売りにしているメイン担当では、トップクラスの成果を上げていたのに。印象操作が幅を利かせて、恣意的な評価をしているような組織にいても不自由な状態が続くだけだと考えて、年度末での退職を決意して、直属の上司などに意向を伝えました。

もう書きませんが、ダメ押しの事件がもう一つ発生して、年度末を待たずに辞表を提出して、その1か月後に退職しました。本当にすっきりしました!