井筒俊彦の論文から引用します。
A name is the result of man’s having articulated through language a given portion of reality. One of its most important functions consists in articulating reality into a certain number of units and crystallizing them into so many discrete entities which then form among themselves a complicated network of closely or remotely related things, qualities, actions and relations.Izutsu, T., Toward a philosophy of Zen Buddhism, Prajna Press (1977).
以下は私訳です。
「名前とは、人が言語を使って現実のさまざまな部分を分節した結果である。そのもっとも重要な機能は、現実を有限な数の単位に分節し、独立した実体(認識)に結晶化することにあり、その実体は密接あるいは間接的に関係しあって、事柄や質、行為、関係の複雑な連関を形づくる。」
今、「人の営みのどこまでをAIに置き換えることができるのか?」という問いかけをしなければならない時代に突入しています。
ネットにより世界中で共有されたコンピュータの中で、データが時々刻々と変化し、一瞬のうちに検索・加工されて私たちの目・耳に入ってくることにより、人間が自分の言葉を生み出す努力をしなくなる世界にはなってほしくない、というのは私だけでしょうか?
「人間が作りだすテキストに内包される心理、感情を分析できないか」というテーマに取り組んでいますが、まだ助走をはじめたばかりです。それでも、私たちが生み出すものが、激動する現在の社会・政治・ビジネス・金融の変動を個人個人が自分で理解するための重要な力(TOOL)になると信じています。
井上ひさしの『文章読本』、「ことばの列」の章はこのように結ばれています。
「通俗」たると「純」たるとを問わず作家も、これまでの文学の全財産を背負いながら、この時代と対峙し「人間とはなにか」という謎を解かねばならない。人間についてならどんな小さな謎でもいいのだ。その解を得たとき、これまできまりのことばの列が歓び躍って文体となる。話が大きくなってしまったが、いずれにせよ、どんな大作家でも常に文体を保持しているとはかぎらない。生命がおどって書いたものにのみ、文体がある。井上ひさし『自家製 文章読本』 新潮文庫刊、昭和62年
このサイトで、各分野で活躍する方々が作り出す生命がおどる文体を楽しんでください。
株式会社京都テキストラボ
代表取締役社長 松尾正信