コンピューティング史見聞録(1)

2023年3月1日

筆者は日本の大学の大学院で勉強していたおりに、ひょんなきっかけで「パーソナルコンピューターの父」と呼ばれるアラン・ケイ博士のグループに参加することとなり、1997年ごろから25年近く共同で研究・開発に携わるという幸運に恵まれた。その縁もあり、コンピューティングの歴史に関わった人々と直接触れる機会を多く持つことができた。

この経験から、筆者は「コンピューティングの歴史と進歩は関わってきた人々の人間臭い努力と協力、感情のぶつかり合いとせめぎ合いによって生み出されてきたものである」と身をもって感じることができた。

また、コンピューティングはプログラムを書く、ということだけではなく、心理学生理学社会学と深く関わっており、特にケイ博士が情熱を持っている教育が、人類にとって非常に重要であるという思想にも深く同意するようになった。

このような体験をもとに、この連載では、コンピューティングの発展に関わった人々、特に筆者の「知り合いの知り合い」くらいの範囲にいる人々に焦点を当て、個人的なエピソードも交えつつ紹介していきたいと思っている。

Project Pigeon
Credit: American Psychological Association
下記の「ハト爆弾」参照

■コンピューティング史の本

もちろん、筆者の個人的な経験は限られたものではあるが、この分野を深く掘り下げた本がすでに何冊もある。

代表的なものは、ミッチェル・ウォルドロップMitchell Waldrop)氏による『ドリーム・マシーンズ(“The Dream Machines”)』である。ウォルドロップは物理の博士号を持ちながらジャーナリストとなった人である。『ドリーム…』も技術的な記述がしっかりとされているだけではなく、人間模様も読み応えがある素晴らしい本である。

また、京都大学の喜多千草教授は原典となる資料を深く読み込み、それらの関係をまとめた『インターネットの思想史』という著書を出版している。

それから、ハイム・ギンゴルドChaim Gingold)氏が長年あたためている未発表の本も紹介したい。彼の本は当事者へのインタビューなど、深く幅広い調査に基いている。この本が出版された暁にはコンピューティングの歴史にとって重要な本となるであろう。

(3人とも筆者の知り合いなので、知り合いの知り合いの範囲も結構広いのである。)

■行動主義心理学

さて、本題に入るために、まずは20世紀初頭の心理学の話から始めよう。なぜならば、コンピューティングにはその黎明期から心理学者たちが深く関わっていたからである。

20世紀初頭の心理学界、特にアメリカでは、ジョン・ワトソンやバラス・フレッド・スキナーらによる「行動主義心理学」が強烈な存在感を持っていた。行動主義心理学は、「心理学が本物の科学に仲間入りをするためには、感情や思考や心というような観測できない事柄を想定しているようではダメで、外部からの刺激と、その結果どのような反応をしたのかという、観測可能な現象だけを扱うべきである」という出発点に立っている。

行動主義の実験の例として、ハトやネズミを箱に入れ、ボタンを押すと餌が出るようにしておき、餌の出方を変えるとどのくらい動物が学習するのか、といったものを思い出して貰えば良いだろう。(人間がスマホゲームにハマるのも結局は同じことである。)

■ハト爆弾

心理学をちゃんとした科学にしよう、という考えそのものには意義があったとは言えるのだが、スキナーはケレン味がある性格で強力なカリスマを発揮し、「心などという見えないものがあると思ってはいけない。いや、心などというものは存在しないはずである」という教条主義を推し進めた。彼のスター性により、アメリカの心理学界に「行動主義者にあらずば心理学者にあらず」という恐怖政治が吹き荒れたのである。

ちなみに、スキナーの「成果」のひとつとして「ハト爆弾」の実験がある。第二次大戦中に誘導式の爆弾のために、窓がついた爆弾の中に訓練したハトを入れ、電極をつけたクチバシで窓に映っている目標を突くとそちらの方向に曲がるというものを作ろうとしたのである。(電極のついたハトとスマホを持った人間も似たようなものだろうか?

Project Pigeon
Credit: American Psychological Association

次回はこの潮流からいかに振り子が逆に触れていったのか、キーワードとなる「サイバネティクス」がどのように関連しているのかということに触れていきたいと思う。

次回掲載予定は2023年4月上旬→2023年3月31日公開(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。