コンピューティング史見聞録(2)
ノーバート・ウィーナーとサイバネティクス

2023年3月31日

——技術の進歩と心理学との関わり——

前回は、B. F. スキナーというカリスマ心理学者が推し進めた「行動主義心理学」が、20世紀前半のアメリカ心理学界において強い影響力を持っていたことを紹介した。以下で述べるジョージ・ミラーは、「心理学者同士の会話で、へたに人間の『心』について興味があるとでも漏らそうものなら、『非科学的な奴』だという烙印を押され、人事や学会活動で不利益を受けかねない」という回想をしているくらいである。

もっとも、「心などというものは存在しない」という極端な行動心理学主義者ばかりでもなく、行動心理学が動物の行動の研究などで多くの有意義な成果を産んだことは間違いない。

いずれにせよ、心理学もまた1940年代の急速な技術の進歩から無縁でいられるわけでもなかった。

無縁ではいられなかったことを象徴するのは「サイバネティクス」というキーワードである。1940年代半ばに電気式のコンピューターが実用化され、情報処理、つまり入力とそれに対応する出力という関係を定式化する新たな枠組みが生まれてきた。情報処理に加え、通信、制御、ロボット工学や脳科学の研究に触発され、それらを統合する「新しい科学」が構想され、それがサイバネティクス(舵を取る、という意味のギリシャ語を元にした造語)と名付けられたのである。

サイバネティクスの「父」Norbert Wiener (MIT Museum)
下記の「ノーバート・ウィーナー」参照

■フィードバック

先ほど「入力を処理すると出力が得られる」と単純化して説明したが、サイバネティクスでは出力が次の入力の一部として使われたり、あるいは入力を処理することによって次の処理方法が変わったりという「フィードバック」を重視していたことを強調しておこう。

余談だが、現代でも「プログラムとは入力を受け取って結果を出力するものである」という素朴な説明をしばしば聞く。ただ、筆者は、プログラムを「システム」として考える、つまりそれ自身が環境に合わせて変化しながら動作し続けるものとして設計し実現することが重要だと考えている。

■ノーバート・ウィーナー

ウィーナーが14歳で大学を卒業した時の写真 (MIT Museum)

サイバネティクスの「父」はノーバート・ウィーナーという数学者である。

ウィーナーは幼少時から周りを驚かせるような賢い子であり、それに加え父親に過剰なまでの厳しい英才教育を施された。その結果、14歳で大学を卒業、その後大学院に進み18歳で博士号を取得するところまで一気に駆け上ったのである。

このような生い立ちからか、彼は絵に描いたような「奇人の天才教授」だった。間違った教室に行って講義を始めてしまうのは当たり前、自分の車の色や型式を忘れてしまい、駐車場で他の車が全部出て行くまで帰れなくなったりというウィーナー伝説は数知れない。また、病気の人を見ると気になってしまって他のことが手につかなくなるような優しさもある人であった。一方で、他の人が発表した論文が自分が考えていたことと関連があった時には、疑心暗鬼に駆られて「俺の仕事を盗んだな」と言ってしまう人でもあった。

ウィーナーは第二次対戦中に対空砲の自動照準という問題を数学的に解く研究をしており、いわば愛国者としてアメリカの戦争遂行のために研究をしたのだが、原子爆弾の威力が彼の戦争に関する態度を一変させ、戦後は強硬な戦争反対の態度をとるようになった。これが元でフォン・ノイマンなどとの感情的対立を生むことにもなった。

■サイバネティクス

1940年代半ばにはMITとハーバード大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジ近辺には圧倒的な知の蓄積があり、有志が集う夕食会や会議がよく開かれていた。ウィーナーは豊かな発想を持つだけではなく「しゃべりだしたら相手に構わず喋り続ける」タイプで常に会話の中心となったようである。

このような機会からサイバネティクス運動が生まれてきたのだが、彼はいろいろな考えを持った人々を束ねられる、という性格の人ではなかったために、「サイバネティクス」の旗の下で研究が統合的に進むこととはならなかった。

ただ、彼の蒔いた種は種々の研究に大きな影響を与えた。現代使われている、「コンピューターと実世界と人間の心理とが融合したテクノロジー」という意味の「サイバー」という言葉は、サイバネティクスから来ているわけである。

このような変化の中で、次世代の心理学者たちの中から、教条的に行動主義を信奉せずに、「心理学というからには、ハトやネズミに刺激を与えるだけではなく、人間について研究しなくては意味がないのではないか」という動きが徐々に出てきていた。

ジョージ・ミラーはこのような環境の中で育ちつつあった心理学者の一人であり、情報理論や脳科学の最新の研究成果に触れる中で、特に言語や音声を人間がどのように処理するのかということに興味を持っていた。

次回はミラーについて掘り下げてみよう。

次回掲載予定は2023年4月下旬〜5月上旬(5月1日に公開しました

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。