コンピューティング史見聞録(8)
J. C. R. リックライダーの人となり

2023年10月2日

今回からJ. C. R. リックライダーをとりあげよう。“J. C. R.” というのは彼のファーストネームと二つのミドルネームの頭文字である。ファースト・ネームも含めてあまりどれもしっくりこなかったのか、大人になってからは周りの人には「リック(Lick)」と呼ぶように言っていた。リックライダーは明晰な頭脳をもった研究者というだけではなく、人々を組織して目標を与えるという類稀なリーダーシップを持っていた人であった。

パーソナル・コンピューターの歴史と聞けばスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツを思い起こす人も多いだろう。リックライダーの知名度はビジネスで成功したこれらの人ほどはないものの、現在のパーソナル・コンピューターインターネットにつながる情報技術の骨格作りに大きく貢献した第一人者である。

J. C. R. リックライダー

■リックライダーと心理学

リックライダーは博士号を取得したのちに、ジョージ・ミラーと同じハーバード大学の心理学研究室に所属し、ミラーと共に音声認識とノイズの関係などを研究していた。この連載の当初から述べているように、コンピューティングは黎明期に心理学と強い関係を持っており、リックライダー自身がそれを体現する一人であった。

リックライダーは学際的な刺激を求め続けた人で、レーダーの情報をいかにオペレーターに提示するか、というような研究で物理学者や工学者のグループと交流し経験と人脈を育んでいた。連載の第2回で触れたノーバート・ウィーナーを中心とした「サロン」の常連でもあった。

一方で、そのような時期(1940年代の戦争中から戦後のころ)、MITでは軍の要請により、今でいうフライト・シミュレーターを作り、操縦士の育成を効率化しようという調査・研究が行われていた。そのようなプロジェクトの一つが「プロジェクト・ホワールウィンド(Project Whirlwind)」である。最初はアナログの機械として試作されたのだが、多様な機種や状況を柔軟に作り出すためには、プログラム可能なデジタル・コンピューターを使って作るべきであるという結論となり、1947年ごろから研究・開発が始まっていた。ここで注目すべきなのは、ウィーナーのサイバネティクス発想と同様に、この時点ですでにコンピューターは「入力を受け取って結果を出力する」だけの一方通行の装置ではなく、リアルタイムで刻々と変化する情報を処理し、その結果を人間に提示し、また人間からの入力も受け取って処理もする、というフィードバック・ループを持たせることができる、と認識されていたことである。

コンピューティングの歴史の中で、人間が個人として使うコンピューター、つまりパーソナル・コンピューターは、自分を助けてくれる仲間のように、緊密にやりとりをしながら作業をしていく、という発想の原点もここにあると言える。リックライダーはこの時点では直接は関与していなかったと思われるが、もちろんかれのアンテナにはしっかりと引っかかっていたわけだ。この発想はリックライダーがのちに発表する記念すべき論文につながっていくこととなる。

■リンカーン研究所への移籍

リックライダーはハーバード大学から近場のMITに出張ってきてはこのような技術の開発に触れており、一方でMITの方も、実際に人間の訓練に使うためには、心理学者を巻き込んで人間の知覚も考慮した機械を設計しなくてはならない、という危機感があった。ここで、リックライダーはまさにうってつけの人材であった。そのため、MITの研究所の一つ「リンカーン研究所」に移籍することとなった。余談であるが、MITには多くの「研究所(Laboratory)」があり、また、それらとは別に「学部」もある。研究者は学部に所属しつつ研究所の仕事もする、というケースが多く、特定の学部所属でありながら研究所のプロジェクトに従事することを、内部では「政治と教会の分離(state and church separation)みたいなもの」というジョークにしているそうである。

リックライダーもリンカーン研究所の仕事をしつつ、心理学部で学生の指導もはじめたのであるが、そこで彼には大きな落とし穴が待っていた。それについては次回詳しく解説していくこととしよう。

次回掲載予定は2023年11月上旬頃→11月1日に公開しました(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。