コンピューティング史見聞録(21)
L ピーター ドイッチュ(L Peter Deutsch)

2024年11月1日

今回も1960年前後にマサチューセッツ工科大学(MIT)を中心として盛り上がっていた「ハッカー文化」について、筆者と繋がりのある人を取り上げて紹介しようと思う。

ピーター・ドイッチュは、MITの物理学教授の子として、その近辺で生まれ育った。プログラミングに興味を持ったのは、12歳の頃に「捨てられていた説明書をたまたま拾って読んでみたら、これは自分のためにあるようなものだ、としっくりきたのがきっかけ」と言っている。ほとんどの大学生が「コンピューターは話には聞いたことがあるけど使ったことはない」というこの時代に、すでに知り合いの大人の名前を借りて、MITに導入されていたバッチ処理のコンピューターでプログラムを走らせていたくらいであり、とにかく少年の頃からコンピューターに興味を持てる環境にいた。

L ピーター ドイッチュ(L Peter Deutsch)

MITでは、メモリテスト用の試作機であったTX-0が学生でも使える部屋に「お下がり」となって置かれ、時間の割り当てさえもらえれば、自分でコンソールをいじってプログラムを走らせることができるようになった。TX-0が置かれた部屋は必然的に学生たちの溜まり場となり、ドイチュも12歳の頃からそこに入り浸るようになった。その部屋では大学院生や研究者がTX-0を直接使っていたり、あるいは待っている人々が紙の上でプログラムを書いていたりした。ドイッチュは彼らの様子を後ろから覗き込み、あっという間に問題点を見抜いて遠慮なくそれを指摘した。当初は半ズボンを履いているような子供が一体何を言っているのか、という扱いだったのだが、ほどなくドイッチュの言っていることが正しいということがわかり、またドイッチュが「じゃあ自分で書いてくるよ」と言って実際により「美しい」プログラムを書いてくるようになると、ハッカーたちは彼を仲間として受け入れたわけである。前回述べたように、「プログラムが書けるかどうか」が仲間であるかどうかの判断基準であり、学生かどうかということは、ハッカーたちにはどうでも良かった。大学院生や研究者たちの中には納得しないものも多かったが。

授業を蔑ろにして退学していったハッカーたちも多くいたなか、彼は順調に学歴を積み上げ、カリフォルニア大学バークリー校で博士号を取り、いくつかのコンピューター・サイエンスの研究所で研究活動に従事した。それだけではなく、フリー・ソフトウェアの開発やソフトウェア・ライセンスの分野で活躍し、コンピューティングの歴史の中であちこちに名前が出てくる、というキャリアを送った。中でも、いわゆる「動的なプログラミング言語」を高速に実行する技術の端緒を開いたことは特筆に値する。読者の皆さんが今使っているウェブ・ブラウザーにもJavaScriptと呼ばれるプログラミング言語処理系が入っているのだが、それで実用的なアプリケーションを動かすことができていることは彼が初期に行った貢献と、その技術をさらに発展させた人々に負う部分が大きい。

数年前に、ドイッチュと筆者の共通の知り合いが主催した遠隔での講演会で、彼の後に私が話をするという機会があった。流石にかつての神童も70代後半となり、そして本人はコンピューティングよりも音楽が主な興味の対象となっている様子ではあったが、JavaScriptの実行系に関するアイディアについて発表をしていた。

当時のハッカーたちの主流は、機械語を直接扱い、コンピューターの性能を最大限に引き出して、できるとは思われていなかった新しいことを実現する、という活動であった。ドイッチュはその路線だけでも、周りの人を驚かせ続けるような成果を残し続けた。人となりとしてもハッカーたちにはいろいろなタイプがいるのだが、ドイッチュの場合は、動くはずのプログラムが自分のミスで動かなかったときなどは、かなり頭に来て怒鳴り散らしたり、ということもあったそうである。コンピューティングでは機械レベルのところから一歩下がって、新しいプログラミング言語を設計する、というタスクもある。囲碁や将棋でいうような「手が見えすぎる人」は、一歩下がるのが難しいところもあるのかもしれず、ドイッチュもどちらかかといえば、驚くような「実装」によって名を残し、派生した技術が世界中で使われるきっかけとなった人であると言えるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=rc27d61EDro
(1:24から15:03がドイッチュの発表)

次回掲載予定は2024年12月上旬頃→12月2日に公開しました(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。