今回は、1960年ごろにアメリカ中西部で進んでいたコンピューティングのプロジェクト「PLATO(Programmed Logic for Automatic Teaching Operations)」について紹介しよう。エピソードの多くは、ブライアン・ディアー(Brian Dear)による“The Friendly Orange Glow”という本による。
PLATOの目標はコンピューターを使った教育に関する研究と開発であったが、それとは別に、高校生や大学生がコンピューターを使える場を提供することとなり、そのような生徒や学生たちの中から、後にコンピューティングや商用のゲーム開発に携わったものが多く育った。筆者も「PLATOキッズだった」という何人かと触れ合う機会があり、しばしば「こんなところにも」と驚かされた。これは以前紹介した「ハッカー」たちと同時期であり、興味を持った若者がいれば、規則を少々曲げてもコンピューターを使わせてみよう、という動きがアメリカのいくつかの場所で進んでいたことになる。
■PLATO開発の背景
この連載第1回で触れたB. F. スキナーは、「条件付けによる動物の学習」の研究で名を成したのだが、彼は「条件付け」が人間の学習にも使えるはずであると考えて、テープとレバーを使った機械仕掛けで、問題に正答すると少し難しい問題が出てくるという「学習装置」を開発しようとした。
1957年のスプートニクショックによってアメリカの科学界そして教育界に激震が走り、「先進的な教育手法を開発しよう」という機運が高まったときに、第14回で触れた認知革命的なアプローチではなく、スキナーの「学習機械」というコンセプトに基づいて、コンピューターを活用した教育システムを作る動きがイリノイ大学でも始まった。イリノイ大学では早くからコンピューターの研究が進んでおり、1952年からILLIAC(Illinois Automatic Computer)という初期のコンピューターを稼働させていた。イリノイ大学におけるコンピューター研究の中核は「制御システム研究所(Control System Laboratories; CSL)」であり、その所長はダニエル・アルパートというすでに大成した科学者であった。アルパートは、新たに「教育用のコンピューター・システムを作る」というプロジェクトをスタートさせるにあたって、プロジェクトのリーダーを探すこととなった。

■ドナルド・ビッツァーの抜擢
そのときに、才能があるのだから年齢や実績など気にせずに大きな仕事を任せよう、というアメリカの研究界でしばしばみられる「驚くべき抜擢」が行われ、博士号を取ったばかりである弱冠26際のドナルド・ビッツァー(Donald Bitzer)が、大きなプロジェクトのリーダーを務めることとなったのである。
ビッツァーは1934年の生まれであり、自動車の修理・販売を生業とする家庭で育った。周りの人からみるとビッツァーは「写真的記憶」を持っていたかのようで、学校の勉強はしなくても学校一番、そしてスポーツにも秀で、いくつもの部活の部長、そして生徒会にも参加するというような生徒だったそうである。さらには「セールス」の才能もあり、家業を継ぐならセールスマンとして成功するのではないか、と周りに言われていた。大学に入ってからもテストになれば満点をとり、さらには寮で「腹筋運動を今から1000回やったら皆から1ドルずつもらう」という賭けをして、その場ですぐに始めて1000回達成したり、という変わり種であった。CSLで学生時代にパートタイムの仕事をしたこともあり、アルパートや他のCSL首脳陣もビッツァーのことを知っていたのである。
■PLATOチームの人間関係
プロジェクトにはそれほどの予算はつかなかったので、とにかく有り合わせのものでなんとか動くものを作る、という方針で始まったのだが、そこでもビッツァーの伝統に縛られない能力と行動力が生かされることとなった。
ディアーによるインタビューで、PLATOの精神的リーダーは誰だったのかということに関して、アルパートは「自分が発案してビッツァーを抜擢してやってもらった」という認識なのに対し、ビッツァーは自分が成し遂げた、という意識があったようである。もちろん、グループで組織的に行われるプロジェクトではそのような齟齬は多かれ少なかれどこにでもある。世に知られた名前と功績としては、PLATOはビッツァーのものだということで間違いはないのだが、それでも抜擢した若手が動けるような環境を作ったことは、アルパートの慧眼として評価するべきであろう。
次回は、PLATOプロジェクトそのもの、そしてILLIACが日本のコンピューター開発に与えた影響について触れていく。
次回掲載予定は2025年7月上旬頃
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。