コンピューティング史見聞録(13)
私的なジョン・マッカーシーのエピソード

2024年3月1日
1960年代のショートフィルムの一場面
詳しくは下記「マッカーシーのプロデュースによる恋愛ドラマ」参照

■マッカーシーのプロデュースによる恋愛ドラマ

前回紹介したように、ジョン・マッカーシーは大型コンピューターを複数人が対話的に使う「タイム・シェアリング」という方式の考案者の一人でもある。彼との議論を通じて何人ものコンピューター設計者が実際のタイムシェアリングシステムに取り組み、1960年代には実際にタイムシェアリングを採用したコンピューター・システムがMITなどの大学で作られるようになった。ただ、マッカーシーはその先を行き、コンピューター・プログラムのデバッグ作業を対話的にできるようにする研究もした。その成果もさることながら、驚くべきことにコンピュータ・システムを作っただけではなく、そのシステムの利点を示すべく恋愛ドラマ仕立てのビデオを作ることに協力したのである。

“Ellis D. Kropotechev and Zeus, This marvelous time-sharing system”というタイトルのビデオが筆者のYouTubeチャネルにアップロードされている[1]。これは、ギャリー・フェルドマン(Gary Feldman)というスタンフォード大学映像学部の学生が、マッカーシーの話から着想を得て卒業制作として作ったものである。プログラミングの課題が終わらずに恋人を待たせてしまっているが若い男が、いつまで経ってもうまくいかず、焦っている間にバッチ処理用のパンチカードの束まで落としてバラバラにしてしまう。一時は「もうダメだ、首を吊ろう」というところまで追い込まれるものの、Zeusと名付けられた対話的デバッガーを使って課題をドラマチックに終わらせることができ、最後は恋人と幸せになるというドラマである。

“Ellis D. Kropotechev and Zeus, This marvelous time-sharing system”の一場面

ちなみに、“Ellis D.”という登場人物の名前は、発音してみるとわかるように“LSD”との掛け言葉である。時代を反映したタイトルであろう。

■マッカーシーの数学者的思考

マッカーシーは、これまでに紹介した何人かの人にも似て、日々の振る舞いが変わっている面もあったようである。たとえば彼は通路で同僚と行き合ってそこで何かに質問された時に、何も言わずに立ち去ってしまうことがあった。だが、数週間後に同じ人にまた会った時には、まるで全く途中時間の経過がなかったかのように話を再開し、そして非常によく考えられた答えを返してきた、というエピソードがある。

彼は論文以外にも多くの書き物を残した。その中にはサイエンス・フィクションの原稿もあり、また、理想化した仮定を出発点として常識を捨てて考察をする、という、いわば「数学者的思考法」と呼ばれるものも多くあった。たとえば、もし「手を触れるだけでどんな病気も治してしまう奇跡の人」がいたとしたら、どのように効率よくその人の能力を使うことができるのか、というような考察をしたエッセイがある。病気の人をどのように宿泊させれば良いのか、どのように治癒者の前に並ばせるのか、治癒者の休息はどのくらい必要なのかということを見積もり、どのくらいの人を治癒することができるのかを計算したものである。さらには人口問題の解決法も一定の確率で人を間引くという可能性に言及するなど、自由に思考を羽ばたかせていた。タイムシェアリングコンピューターのアイディアも、このようなことを真面目に考えることのある頭脳から生まれたと言われると、なんとなく納得がいくところが面白い。

筆者が長く仕事を一緒にした同僚の一人は、スタンフォード大学でマッカーシーの授業をとった。期末課題としてLispのプログラムを提出するはずだったが、家庭の事情で実家のハワイに戻らなくてはならなくなった。当時は彼の家からコンピューターを使う方法などはなく、紙に一生懸命プログラムを書いてなんとか遅れて提出したそうである。もちろん、「数学者」マッカーシーは家庭の事情などで規則を変えるような教授ではなく、あっさりと「不可」にされたそうである。

■京都賞式典での思い出

筆者自身はマッカーシーと直接会話をしたことはないのだが、2004年にあった京都賞の晩餐会で見かけたことがある。主賓である高円宮久子様を迎えるときには参加者全員が起立をするのだが、すでにかなり高齢であったマッカーシーは、1分ほど机に手をついて体を支えながら、必死に姿勢を保っていたことを覚えている。

このいくつかのエピソードのように、マッカーシーは従うと決めた規則は徹底的に守るとても真面目な人であったのだろうと思う。数学者的な発想を実世界の問題にも当てはめて考察するのも、「単純な規則だけがある世界であればどうなるのか」ということを妥協なく考えたからだと思う。

[1] https://youtu.be/Dv5shcFi-og

次回掲載予定は2024年4月上旬頃→4月1日に公開しました(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。