この連載では、心理学とコンピューティングの関係をテーマの一つとして取り上げている。今回はもう一度、心理学界、特にアメリカにおいて、1950年代後半からどのような動きがあったのかを紹介しよう。今回は認知心理学革命と呼ばれる動きで中心的な役割を果たしたジェローム・ブルーナー(Jerome Bruner)を取り上げる。ブルーナーが行った研究から得られた知見は、1960年代終わりからのコンピューター・ユーザー・インターフェイスのデザインにも直接的に多大な影響を与えており、コンピューティングの歴史を語る上でも非常に重要である。
ジェローム・ブルーナーは1915年生まれで、1941年にはハーバード大学で心理学の博士号を取得した。当初は例えばネズミの臓器を取り除いて行動にどのような変化が出るか、という生理学的な研究からキャリアをスタートさせていた。
この連載でも触れたように、 アメリカの心理学界は「行動心理学」の極端なドグマ、つまり「科学とは外部から観測できるもののみを扱うべきであり、生き物に『心』や考えというようなものがあることを考えることさえも異端である」という考え方に支配されていた時期があった。それでも、1940年代の後半から「ネズミやハトだけを使い、外部から観測できるものしか存在してはならない、というドグマに従っていては、もっとも重要であるはずの人間の認知や思考についての知見は得られないのではないか」という問題意識を持った若手が現れた。ブルーナーは、この動きの旗手のひとりであり、子供の知覚を主に扱った研究結果を発表し始めた。
■認知に関する実験
ブルーナーが行った研究の例として、有名なものを挙げよう。裕福な家庭と困窮している家庭から10歳の子どもたちを集め、小さな箱の一方の半透明スクリーンに映し出された円形の光の大きさをノブを回すことによって変えられる器具を使い、アメリカのコインの大きさに合うように光の大きさを調整してもらう。
そこで、子供が調整した光の大きさがどう変わるかを測定したところ、相対的にお金が高い価値をもつものとして認識されているほど、結果として出てきたコインの大きさが大きい傾向がある、というものであった。
このような一連の実験や同様の考えを持った同僚との共同研究を踏まえ、ブルーナーは現在「認知心理学」として知られる分野、つまり人間がどのように世界を知覚しているのか、そして行動主義心理学では御法度であった人間の頭の中がどのようになっているのか、という研究に関する書籍を1950年代半ばに出版するにいたった。ジョージ・ミラー、ジェローム・ブルーナー、そしてノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)など、新しい世代の研究者により、アメリカの心理学界に「認知心理学革命」と呼ばれる転換が起こったのである。結果として、アメリカの心理学界で中心的な役割を果たしていたたハーバード大学に、1957年に「認知研究センター(Center for Cognitive Studies)」がブルーナーとミラーの主導により作られることとなった。このことは、認知心理学が「正式」に受け入れられることとなった象徴的な出来事であった。
ブルーナーは、長いキャリアの中で、生理学、心理学、教育、文化人類学などの、関連しながらも広い研究領域に大きな成果を残した。一時は教育改革で政治家と衝突したことからキャリアの転換をすることにもなるのだが、その件はまた回をあらためて紹介したいと思う。さらには、文化人類学的な立場から、「語り(narrative)」ということについての理論を組み立てる、というような研究もした。
■人間としてのブルーナー
ブルーナーに関しては、彼が素晴らしい研究成果を残した、というだけではなく、彼の人生そのものが特筆すべきことに満ちているということにも触れなくてはならない。彼は上記のように1915年生まれであるが、逝去は2016年、つまり100歳の誕生日を迎えることができた。筆者はブルーナーが89歳の時に行った講義を聞きにいったことがあるが、その時も用意した原稿をしっかり読む、というスタイルで、90分ほどの講義を立ったまましっかりと行っていた。また、ブルーナーはヨットで大西洋横断をしたこともある。こちらの件は経緯も興味深いところであり、項を改めて紹介したいと思う。
次回以降もブルーナーの業績や人となりについてさらに掘り下げていきたい。
次回掲載予定は2024年5月上旬頃→5月1日に公開しました(こちら)
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。