コンピューティング史見聞録(4)
クロード・シャノンの発明遍歴

2023年6月1日

今回は前回言及したクロード・シャノンについて書いてみよう。時は少し戻り、第二次大戦前の話となる。

クロード・シャノンは1916年にミシガン州で生まれ育った。子供の頃から機械や電気を使った実験をして遊んでいたそうである。飛び級して地元の大学に16歳で入学し、1936年に電気工学と数学の二つの学士号を取って卒業した。極端な天才肌という感じではなかったようであるが、若い頃から非凡な才能を見せていたことは間違いない。

「ネズミ・ロボット」実験中のクロード・シャノン
詳しくは下記の「止まらぬ発明欲と後進の育成」参照

■スイッチング回路を使った論理演算

その後MITの大学院に進学し、そこで「電気的なスイッチを使った回路で論理演算をする機械を作ることができる」というアイディアを”A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits“という題の修士論文として38年に発表した。これはデジタル・コンピューター実装の基礎となった論文であり、「20世紀最高の修士論文」というほどのインパクトを与えたと言われるものである。

このアイディアは、「言われてみればまったくもってその通りだよな」という「コロンブスの卵」的なものであるように思う。実際、日本でも中嶋章と榛澤正男という日本電気の技術者が1934年にすでに同様のアイディアを記した論文を発表していたことが知られている。遠藤諭氏の著書『計算機屋かく戦えり(アスキー、1996年)』に載っている榛澤氏のインタビューにあるとおり、彼らは英語でも論文を書き渡米して講演しており、シャノンへもなんらかのアイディアの伝達があったのではないかということが言及されている。

この経緯から、このアイディアの発案者としてシャノンの名前のみが出てくると、日本人としては「中嶋・榛沢はどうなんだ」という気持ちにはなるかもしれない。ただ、他の文献を見ると、ロシア人のビクター・シェスタコフという人もまた同時期に同じ発明をしていたという記述もある。これは「最初の飛行機を発明したのは誰か」という議論と似ており、「誰が最初であり独自であったか」を言い切ることは難しいかもしれない。後から見れば、いろいろな発明者がいたとしても、裾野としてそこから新たな研究や実用化が生まれ広がる環境にいた人に評価が集まる、という面はあるだろう。

■情報理論

シャノンは博士号を取得した後、1940年からベル研究所に勤めることとなった。当時のベル研究所にはMITと肩を並べるような知の集積があり、その中で第二次大戦に協力するために、暗号や通信機器の研究に携わった。その中でアラン・チューリングのような巨星を含めて色々な人々との刺激的な共同研究や意見交換をする機会を持った。この環境で、「そもそも情報とは何か」、そして「情報の量を測定するにはどうしたら良いか」と深く考えることとなり、それが二本目のホームランとでもいうべき研究につながっていった。

この研究は、情報には最小の単位「ビット(bit)」を定義することができ、それは「ある一つのものを弁別する」つまり「何かがあるかないか」という2通りの選択肢である、という定式化である。「何かがあるかないか」ということを万物の根源に置く、という概念も、歴史を辿れは「似たようなことを考えていた人」の例はいろいろと挙げることはできるのだが、きっちりとした体系を作り上げその応用が花開くようにしたことは、疑うことなくシャノンの偉大な成果であると言えるだろう。

■止まらぬ発明欲と後進の育成

その後シャノンはMITの教授となった。そこでは最初期のチェスのプログラムを作ったり、あるいは迷路を記憶して解くことができる「ネズミ・ロボット」を作ったりという「ちょっと面白いアイディア」に関する研究を数多くしていた。研究だけではなく、いざ一輪車に興味を持つと四角いタイヤの一輪車や世界最小の一輪車といったものを作ろうとしたり、さらには火を噴くトランペットやロケット付きフリスビーを作るなど、とてもアイディア豊富な人であった。

迷路を学習する機械式ネズミ(写真: Bell Labs)

シャノンは指導者としても優秀な学生たちを多く輩出した。そのような人々の中には筆者の直接の知り合いも何人かいるわけで、このシリーズでおいおい触れていくことになる。

次回はいよいよマービン・ミンスキーを紹介したい。彼がスキナーミラーとの交流を通じていかに「考える機械」に興味を持っていったのかは、現在の人工知能研究につながる重要な話である。

次回掲載予定は2023年7月上旬頃→2023年6月30日公開(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。