コンピューティング史見聞録(11)
ジョン・マッカーシーの人工知能研究

2024年1月4日

現在話題を席巻している「人工知能 (Artificial Intelligence)」という言葉は、1950年代半ばに作られたものである。今回から数回、ジョン・マッカーシーに焦点を当て、彼がAIという言葉を作った背景について触れてみよう。

AIという言葉を作ったジョン・マッカーシー
詳しくは下記の「ダートマス会議」参照

■考える機械

人間のように考える機械を作るという夢は、古来から人々の想像力を常に刺激し続けていた。人型の彫像に命が吹き込まれるという物語はどんな文化にもあるわけで、近代では機械仕掛けでチェスが打てるようにできるのではないか、というようなことも想像された。このように、「考える機械」は人間の根源的な興味を刺激する題材といえるだろう。

1940年代にコンピューターが作られると、この夢が実現に一気に近づいたように思われたことだろう。これまで取り上げてきた心理学者だけではなく、論理学を研究する数学者などからも、「考える機械」が本格的な学術研究の対象として扱われることになったのである。連載第2回で触れた、ノーバート・ウィーナーを中心とした毎月の夕食会でも、考える機械をどのように作ることができるのか、ということが頻繁に話題になっていた。

■ダートマス会議

そのような環境の中で、「考える機械」を研究しているトップ研究者を呼び寄せ、集中的に議論・検討をする場を設けてはどうだろうか、という機運が1950年代半ばに高まり、具体化に向けて動きはじめたのである。

この会議の企画において中心的な役割を担ったのが数学者・論理学者のジョン・マッカーシー (John McCarthy) である。彼はコンピューティングの発展に多大な貢献をした人であり、AIにとどまらずコンピューター科学の多くの分野、例えばプログラミング言語や、さらには公共財としての情報処理 (information utility) という、現在のクラウド・コンピューティングにつながる概念についても先見的な成果を残した。この時点ではマッカーシーはまだ30歳前であったが、そのような新進気鋭の研究者に大きな企画を任せることを恐れない環境とそれを支える財団などがあるのが当時からのアメリカの強みであろう。

ジョン・マッカーシー
(Stanford University)

会議はアメリカ東部にあるダートマス大学で1956年に開かれた[1]。
後に「ダートマス会議」として知られることとなるこの会議は、一般的な学術会議でみられる数日間という短い期間のものではなく、8週間というたっぷりとした期間を夏休み中に割り当てた、いわばちょっと短めのサバティカルのようなものであった。

招待者の人選もマッカーシーにほぼ任されていた。今振り返って参加者のリストを見ると、ウィーナーが呼ばれなかったことに興味を惹かれる。ウィーナーは話題を自分の気の向くままに次から次へと変えつつ会話の中心となって話し続けないと気が済まないところがあったので、マッカーシーのような新進の研究者としては、60歳を過ぎた「面倒」な人は敬遠したということらしい。

■マッカーシーの生い立ち

マッカーシーは子供時代から多読で、興味のあることにはどんどんのめり込む少年だったようである。特に数学の成績が良かったので高校を2年飛び級し、カリフォルニア工科大学 (カルテック) に入った。カルテックでも、最初の2年で習うような内容はすでに習得していたために、授業も免除される、という待遇であった。
だが一方で、大学の体育の授業に出ることを拒否したために停学となって陸軍に入りほとぼりを覚ました後で大学を卒業する、という微妙な遠回りをした人でもあった。

博士論文は微分方程式に関する研究であったが、クロード・シャノンとの共同研究を通じてコンピューターに興味を持った。その中で、数学的な関数をコンピューター上に表現し、その関数を値に適用することを基本的な要素とするプログラミング言語が作れるのではないか、という発想に至ったわけである。

次回はプログラミング言語Lispなどの、マッカーシーの他の成果について触れる。

[1] A Proposal for the Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (http://jmc.stanford.edu/articles/dartmouth/dartmouth.pdf)

次回掲載予定は2024年2月上旬頃→2月1日に公開しました(こちら

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。