これまでの連載で取り上げてきたのは、主に学術界や産業界を主戦場とした人々であった。だが、コンピューティングの発展には、草の根レベルからの貢献という流れも寄与していた。この流れを作り出したのは、コンピューターというものに純粋な好奇心を向け、とにかく面白そうだから自分の思ったように使ってみたいと思った若者たちである。彼らは主にマサチューセッツ工科大学(MIT)などの学生であったが、コンピューターに大いなる夢を感じ、学業そっちのけでコンピューターいじりに没頭した。彼らはのちに「ハッカーズ」と呼ばれることとなり、独自の「ハッカー文化」を作ることとなった。
今回はハッカー文化が生まれた環境について触れてみよう。時期は1950年代の終わり頃である。紹介するエピソードはスティーブン・レビー(Steven Levy)による書籍『Hackers』を参照したものが多いが、筆者自身も原初のハッカーたちの何人かと後年知り合いとなったので、そのような話も交えていきたい。
■MITとテック鉄道模型クラブ
MITは、言うまでもなく世界で最高峰のオタクが集まる大学である。同好会活動も盛んであり、本稿が取り上げる1950年代にも「鉄道模型クラブ」は人気があるクラブであった。
鉄道模型クラブには、模型としての精巧さにこだわりを持つ一派と、「信号と動力(Signals and Power: S&P)」という、電気的な制御機構を操ることに魅せられた一派とがあった。部室には大きな鉄道模型の路線があり、その上面は精巧に作られた鉄道路線や情景があったが、下面にはワイヤーとリレーが複雑怪奇に配線されていたわけである。
S&Pのメンバーは、さらに複雑な鉄道模型用の制御機構を、手元に用意できる部品を組み合わせて作り出していくことに魅惑されていた。50年代の終わり頃には大型コンピューターが大学等に導入されるようになってきており、その噂を聞いた彼らの間では、「なにやらとても興味深そうなものがある」という雰囲気が醸成されていたわけである。
連載第8回で述べたように、コンピューターそのものは1940年代の終わり頃から研究所で試作されており、50年代半ばからはバッチ処理のIBM製コンピューターがMITに導入されてもいた。IBMの機械は論理素子に真空管を使っており、管理に手間がかかるために、専門の担当者しか手を触れることができず、学部生が簡単に近寄れるようなものではなかった。ただ、パンチカードを前処理するための付属の機械もあり、そちらは中身の配線をいじって動作を変えたりして遊べたので、S&Pのメンバーの中には、夜な夜な部屋に忍び込んでいじったりする者もいた。ハッカー文化の根底には、「人を傷つけたりしないのであれば、新しいことを学ぶことこそが重要で、ルールは破るためにある」という考えがあり、MITの学生の中にはいろいろな手を使ってコンピューターを使おうとした者がいたわけである。
1958年ごろには、MITで試作していたトランジスターを使った実験機TX-0が余剰となった。こちらはユーザーが直接操作することが可能であり、「自分ひとりで直接使える」コンピューターの先駆けとなったものである。S&Pのメンバーたちも、深夜の時間帯で、大学院生や教授などが予約をキャンセルした場合などに「ちょっとうまいこと使わせてもらう」という形でTX-0を使わせてもらえるようになった。
特筆すべきは、大学の教授の側にも、やりたいのならやらせておけ、という態度でこのグループを応援したものが何人かいたことである。特に、これまで名前の出てきたマービン・ミンスキーやジョン・マッカーシーは積極的にこのグループと関わった。1959年にマッカーシーがMIT初のコンピューター・プログラミングのコースを教え始めると、鉄道模型クラブのメンバーの中にも授業をとるものがおり、マッカーシーと個人的な繋がりをもつようになった。
教授の側も、自分たちがやろうとしていたプロジェクトを手伝わせることができる、というだけではなくコンピューティングそのものに魅力を感じるグループとやりとりすることにより、まだ未知の潜在能力を探る、という知的な刺激を得ることとなっていたからであろう。
次回も、ハッカーたちについてもう少し掘り下げてみよう。
次回掲載予定は2024年10月上旬頃→公開しました(こちら)
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。