コンピューティング史見聞録(24)
リックライダーのARPA IPTO時代

今回ももう一回 J. C. R. リックライダーについて触れていこう。彼は、アメリカ政府の科学・技術研究の助成を行う部門「ARPA IPTO」でリーダーを務めた。ARPA IPTOが、アメリカのそして世界のコンピューティング研究に及ぼした多大な影響を考えると、ここで紹介しないわけにはいかないのである。

エンジニアの性質をよくわかっているリックライダーによるメモランダム
詳しくは下の「リックライダーの予算配分ポリシー」参照

■技術開発への予算配分を強化するアメリカの国家的機運

第16回でも触れたように、コンピューティングの発展に関する歴史の中で大きな展開点となったのは、1957年に起きたスプートニクショックと呼ばれる冷戦下の事態である。これをきっかけに、アメリカでは技術開発そして教育にしっかりとした予算を配分するべしという機運が高まっており、1958年には高等研究計画局Advanced Research Projects Agency: ARPA)という組織が発足した。ARPAそのものは幅広い研究分野を支援するものであったが、コンピューター技術をどのように実用化していくのかという論議も高まっていた。ARPA創立以前からSAGEシステム(第9回)は稼働していたが、より先進的な研究として、例えば「管制と制御の近代化」というテーマに関する研究方針が決められることとなった。

前回触れたリックライダーによる「人間とコンピューターの共生」論文も、このような時代背景で書かれた。分野の研究方針について自分が思うところをまとめたわけだが、そのような論文を書く動機も、ワシントンDCで大きな予算の割り当てについての議論があることを踏まえていたわけである。

■リックライダー、情報処理技術部門のトップに

このような動きから「管制と制御」のために情報処理技術を進歩させる必要があるということで、情報処理技術部Information Processing Techniques Office: IPTO)と呼ばれる部門が作られた。

ARPA IPTO初代の部長として、BBNからリックライダーが引き抜かれて就任することとなった。IPTOはもともとそれほど大きな予算を持った組織になるはずではなかったのだが、他の研究助成制度との統合が進み、蓋を開けてみればアメリカ政府によるコンピューティング研究資金の過半を占める規模となった。

■リックライダーの予算配分ポリシー

リックライダーはどのような研究が重要であるか、ということに自分なりの意見があったが、当初はタイム・シェアリング(第12回)で使える大型のコンピューターを発展させるべきであり、また人工知能で制御と管制を完全自動化することはできないと考えていた。ただ、彼が後世からも評価されることとなった理由の一つには、自分の意見に合う短期的な研究のみに予算を配分するのではなく、「能力と情熱を持った優秀な研究者」も支援したことである。人工知能は「制御と管制」にすぐに使えるようにはならないとしても、マービン・ミンスキージョン・マッカーシーはIPTOからの予算で人工知能やその他のコンピューターに関する研究をを行うことができた。また後の号で触れるダグラス・エンゲルバートという研究者も、タイム・シェアリングとは無関係に構想していた人間とコンピューターの関係を研究する提案を温めていたが、タイム・シェアリングの研究にも従事するという条件ながらもその研究に資金が投入された。リックライダーは、研究とは「選択と集中」を目指すのだけではなく、有能な研究者に力を発揮させることが重要だと考えていたし、また研究というものは新しい発想を育む必要があるものであり、トップダウンで何が正しいのかを決めてしまうことが原理的にできないということも理解していた。

もうひとつ特筆すべきは、ARPA IPTOの資金は、次世代の研究の担い手となる大学院生の育成にも大いに貢献したことである。ARPA IPTO助成を受けた研究拠点では、リーダーだけではなく大学院生同士の交流が活発に行われ、お互いに刺激を与えあう環境が作られた(大学院生同士も積極的に交流すべきである、と提案したのも、自身が当時大学院生でのちにアドビ社を創業したジョン・ウォーノックであった)。
このように、人材、資金そしてリーダーシップという環境が作られ、ARPA IPTOで繋がったグループからは大きな成果が生み出されることとなったのである。

リックライダーのリーダーぶりが伺える逸話として、プロジェクトの目標設定に関するメモの題名に「銀河間コンピューター・ネットワーク構想の参加者」へと書いた、というものがある。リックライダーはコンピューター・ネットワークが重要であるとIPTOの資金提供先に周知したいと思っていたのだが、「エンジニアたちは要求水準ギリギリを狙った設計をしがちがから、銀河規模のネットワークを意識させておけば、せめて地球規模のネットワークくらいは達成してくれるだろうと思ったから」そのような題名にしたと語っている。

ARPA IPTOの目標に関するメモの冒頭部分

リックライダーがIPTOの部長を務めたのは1962年から1964年までの2年間であったが、組織の特色はしばしば創設者の「魂」が受け継がれるものである。リックライダーが選んだ後任の部長たちも数代にわたって先進的な研究を続けることとなった。次回はIPTOの2代目部長となったアイバン・サザランドについて触れることとする。

次回掲載予定は2025年3月上旬頃

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。