前回述べたように、リックライダーは1950年からMITのリンカーン研究所に所属し、そこで行われていたコンピューターのプロジェクトに心理学者として参加した。MITでは「政治と教会の分離(state and church separation)」という内部のジョークがあるように、一人の教授が学部(department)と研究所(laboratory)の両方に所属することが多くある。リックライダーも、心理学部で持ち前の行動力を発揮して大学院生を集め、さらには盟友ジョージ・ミラーも招聘して学部でも存在感を確保しようとし始めていた。
空軍は、リンカーン研究所で行われていたホワールウィンド計画、つまりデジタル・コンピューターを使ってフライト・シミュレーターを作る試みの目処が立ったところで、さらに大掛かりで野心的なプロジェクト、つまり北米を網羅する防空管制システムを作るSAGE(Semi-Automatic Ground Environment:半自動式防空管制組織)というプロジェクトを開始した。リックライダーはこのプロジェクトにも心理学者として参加することとなった。
■SAGEシステム
SAGEは北米に分散して設置されたレーダー・システムと連動し、情報をCRT画面に連続的に表示し、ポインティング・デバイスとして「ライト・ガン(light gun)」や「ライト・ペン(light pen)」を使用することにより、情報の表示を切り替えたり、要撃機に指示を出したりできるという対話的なシステムであった。つまり、今までに何回か言及されてきたフィードバック・ループであり、そのループの中に人間とのやり取りを含んだシステムだったわけである。
現在みなさんが使う商用アプリケーションでは、見た目の派手さを重視したり、ブランドを際立たせるというような動機から、実際の使用感を二の次にしてユーザー・インターフェイスが作られていることも多い。場合によっては、「見た目を今までと違うものにしたいから」という理由だけでインターフェイスが改悪されることもある。しかし、SAGEでは文字や輝点の表示や、警報音の出し方に問題があって、オペレーターの判断がコンマ数秒遅れてしまうと、それが敵機を邀撃できるかどうかの分かれ目になるかもしれない、という危機感があったため、「コンピューターを使いやすくするためには、実験心理学者をチームに加える必要がある」という発想になったわけである。
■心理学部との軋轢
リックライダーはSAGEプロジェクトを通じて、コンピューターに関する知見をさらに深めていくこととなった。しかしながら、機械との対話に重きを置く実験的な心理学は、MITにあったいままでの心理学部の方向性と大きく乖離しており、心理学部の上層部からは、外部から来たのに勝手に動いている困ったやつという見方をされることとなった。特に学部長とは徹底的に対立することとなってしまい「これ以上新しい学生を採用することは許さない」という、大学人としてキャリアを築くには「死の宣告」を受けてしまうこととなった。このこともあり、リックライダーは心理学を離れてコンピューター産業界に移ることとなる。その後の活躍についてはまた触れることになる。
SAGEコンピューターのハードウェアはカリフォルニアにあるコンピューター歴史博物館で見ることができる。現代の観点から見ると驚きではあるが、SAGEには灰皿が備え付けられている。これは筆者の想像だが、リックライダーも灰皿をどこにつけるかということに意見を述べたことであろう。
■SAGEとSABRE
余談であるが、SAGEのアーキテクチャーを踏襲した民生用途のコンピューターとしてSABRE(Semi Automatic Business Research Environment)というものがある。これは1950年代の終わりにIBMによって作られ、航空券予約システムとしてソフトウェアは現在でも使われている。現在ではより“Automatic”にはなっているが、10年ほど前でも、空港で予約の変更をしなくてはならなくなった時はなかなか時間がかかるものであった。係員がひたすらキーボードを打ち続けるので「フライトの情報を変えてもらうだけのはずなのに、いったい何を打ち込んでいるのだろうか?」と疑問に思ったりしたことはないだろうか。これはシステム設計として、予約レコードにあるすべての項目を打ち直す必要があったためであるが、いらいらしたときは「まあSemi Automaticだからしょうがないか」と思えば良い、というジョークがあった。SAGEの魂を受け継いだシステムが今でも使われていることは興味深い。
次回掲載予定は2023年12月上旬頃→12月1日に公開しました(こちら)
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。