今回は、コンピューター・グラフィックス研究のパイオニアであるアイバン・サザランドを取り上げよう。今までの記事中では、登場人物の苗字を主に使っていたが、以下では兄のバート(Bert)と区別するためにアイバンと表記することにする。

詳しくは下を参照
■アイバン・サザランドの生い立ち
アイバンは1938年にアメリカ中西部で生まれた。アイバンの父は博士号持ちの土木技師、母は看護師で、ふたりとも子供の教育に熱心であった。彼らにとって教育とは押し付けるようなものではなく、たとえば父が持って帰ってくる使い古しの青刷りの図面を子供の教科書のブックカバーにしたり、またいろいろな機械工作を一緒にしたりと、押し付けではない形で、アイバン、そして兄のバートの興味を伸ばしていた。母は「一般意味論(General Semantics)」という哲学的な運動に参加しており、その集会の参加者を通じて幅広い人と交流を深めていた。その人脈を通じ、「面白い高校生がいる」ということで、アイバンとバートは連載第4回で紹介したクロード・シャノンと会って話をする機会を得たこともあった。アイバンが回想するシャノンの言によれば、シャノンはもともと兄の方がメインで弟はたまたま付いてきただけだと思ったが、帰り際にアイバンが鋭い質問をしてきたので、実は二人とも相当に頭の切れる高校生だと思った、とのことである。兄弟はアマチュア無線をしたり、シャノンが見せてくれたロボットのネズミを自分たちでも作ろうとしたり、機械いじりを楽しみながら成長した。
■大学から大学院へ
アイバンは、現在のカーネギー・メロン大学の前身となるカーネギー工科大学に入学し電気工学を専攻した。また、「もし戦争に行く羽目になったら、下働きではなく将校として行ったほうがまし」ということで、在学時に予備役将校訓練課程も取り、卒業時には尉官として階級も取得していた。彼にとって大学院に行くことは当然というような環境だったのはもちろんだが、それだけではなく、アイバンの方が売り手側として好条件のところにいく、というような状況だったようである。アイバンは学生時代にすでに結婚しており、「義理の母からなるべく遠くに行きたかったから」ということで、修士課程はカリフォルニア工科大学を選んだと言っている。また、「修士課程が簡単で博士を取るのが難しいと言われているカリフォルニア工科大学で修士号を取り、修士課程が難しく博士のほうは取りやすいと言われているマサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号をとった」とも言っている。これらの発言や後の論文や講演からもわかるように、アイバンはとても「ドライな」ユーモアのセンスを持った人なので、額面通り受け取るべきではないわけだが。
■スケッチパッド(Sketchpad)の開発
彼が博士課程にMITを選んだのはなによりも、クロード・シャノンがいたから、ということになる。博士課程の進学先について考えていた時に、高校時代に会ったシャノンに手紙を書いたところ、「うん、君のことは覚えているし、ぜひ私のところでやると良い。我が家まで一度会いにきたら良い」という返事があったそうである。シャノンとは学生と指導教官というだけではなく、奥さん同士も含めて家族ぐるみの付き合いをしたという。ちなみに、論文の審査委員にはマービン・ミンスキーも名を連ねており、アイバン・サザランドはある意味学術的な繋がりの中で血統書付きの出自だったと言えるだろう。

サザランドはMITリンカーン研究所に所属し、そこでウェス・クラークやリックライダーとも交流を持った。サザランドが注力したのは、「コンピューターの対話的利用」に関する研究であった。博士論文は、スケッチパッド(Sketchpad)と名付けられた「コンピューターとのグラフィカルなコミュニケーション・システム」であり、その根幹は、ライトペンでブラウン管(CRT)の画面上に作図することができ、そして描かれた図形が意図した制約を保つように変形できるシステムである。スケッチパッド以前にも画面に線を描くことのできるコンピューター・アプリケーションはあったものの、サザランドが1963年に発表した研究はその先見性が時代を超えて評価されている。次回はSketchpadについてもう少し触れ、アイバンとARPA IPTOの関わりについても紹介しようと思う。
次回掲載予定は2025年4月上旬頃
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。